プレゼントというのは難儀なもので、いかに贈る側が趣向を凝らしたつもりでも、受け取る側の好み・贈り主との関係・タイミング等によってはまったく無価値なものとなる。たとえば300万円のダイヤモンドの指輪、さらに「ForeverloveFromフランスパン」と特注の文言を入れた渾身の一品。ところがこれを、フランスパン氏を軽蔑・憎悪している21歳女子大生に、彼女の誕生日のゼミ中、教室に闖入して満面の笑みを浮かべて衆人環視の前で渡した場合などであれば、女子大生が怒髪天を突きその場でダイヤモンドを粉々にしたところで無理はないといえるであろう。こういった大人の判断力が身につく前は、私は無残なプレゼントをほうぼうの人に渡して、よく失笑を買ったものである。そんなほろ苦いプレゼントライフの幕開けとなった、私の「はじめての異性へのプレゼント」について、昨年末の大学のサークル同期の忘年会でふと話題に上がったので、以下に記す。***********それは大学入学後間もないころ、私はサークル後の飲み会で完全に酔いつぶれ、終電もない時間なので、一同は、つぶれた私を連れてどこへ移動するか?という2択に迫られた。1つは大学の部室、もう1つは宴会場からほど近い、同期のKさんの家である。ただKさんはうら若き乙女、その一人暮らしの家に夜中に5~6名で押しかけるのも悪かろうということで、一同は、環境はやや劣悪だが部室に行くべし、と結論をくだしかけた。ところが、酔いつぶれている当の私が、どういうわけかKさん宅に行きたいと希望したようである。哀れむべし、暗黒の男子校生活を終えたばかりだった私は、「女の子の一人暮らしの部屋」に行きたいという純粋なる欲望に制圧されていたものと推察される。さてKさん宅に運ばれた私は、床に転がって、他の同期数名に介抱されながら、Kさんの洗面器に何度か嘔吐を繰り返した。そんな次第であるから、Kさん宅がどのような間取りであったか、家具はどんなであったか、といったことは全く記憶に残らず、単に「飲み会の後女の子の家に収容されて洗面器に吐き続けた最低の男」という称号だけを得て、私は翌朝松戸の実家にすごすごと引き返していった。まあ、その不名誉な称号は自業自得だが、洗面器を汚されたKさんは一方的な被害者である。そこで、友人の助言もあり、私は隣町・国分寺のデパートに赴き3000円ほどする比較的高級な洗面器を購入、どうせ渡すのだからと思って「プレゼント包装にしてください」と頼んだのが、後で思えば私の生涯最初の異性へのプレゼントであった。***********その後私は偶然そのKさんに片思いするに至るのだが、そんな男をKさんがどうして好きになれよう。私はあっさり振られ、にも関わらず私は大学時代を通してほとんど彼女に片思いを続けていた。その片思いたるや実に惨めなもので、私はかなりKさんにしつこくつきまとったので、彼女には一時期相当嫌がられていた(らしい)。しかし月日は流れ、そんな4年+1年の大学生活も終わり、私は逃げるように大阪に配属希望を出し、彼女は千葉県の某所で働くこととなった。そしてまた4年が過ぎた。ところへ、この洗面器の思い出話である。もはや恥ずかしいというより懐かしい。Kさんに「あの洗面器ってその後どうなった?」と聞いてみると、なんと「アレ、まだ使ってるよ」とのことだった。それはまあ、洗面器などめったに交換するものでもないので、自然といえば自然である。とはいえ、大学時代を通じて恋したKさんにほとんど何もプラスになることをできなかった自分も、洗面器という目立たない形ではあるが、意外にも今日に至るまでKさんの生活の一部を支え続けていたのだなあ、ということがわかり、少しだけ幸福な気分を味わうことができた。なお、年が明けてこの件を知人に話したところ、「そもそも洗面器嘔吐事件がなければ、Kさんは元から使っていた洗面器を今日も機嫌よく使っていたはずで、それはプラスでもなんでもない」と冷徹な見解をいただいた。蓋しその通りとしかいいようがなく、私は嘆息し、それから、過去の過ちで自分を戒めつつ2010年もがんばろう、と思ったのだった。(了)
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